カナダのブリティッシュ・コロンビア州にある「ナショナル・ヒストリック・サイト」91ヵ所を、ジャンルごとに紹介しています。
このサイトについてや全体像を見るには下記記事へ!
本記事では、軍事・研究施設編として6ヵ所を紹介します。
軍事施設
ベイ・ストリート訓練講堂(1989年登録)
胸壁のある八角形の中央塔や、4つの角に飛び出た張り出しやぐら、儀礼用のバルコニーが特徴的で、中世の要塞を連想させるようなデザインの軍事施設です。
レンガ造り、鉄筋コンクリート造りの巨大な建築で、ヴィクトリアのダウタウンに近いベイストリートの中央に位置しています。
建設当時は、カナダ中に軍事訓練場や兵器廠が100ヵ所以上もありましたが、当初軍事工廠として建設されたこの施設は当時の最大規模のものでした。
そのサイズ感からは、南アフリカでの第二次ボーア戦争時のカナダの劇的な軍事増強の様子を伺うことができます。第一次世界大戦以降は、訓練施設として活躍しました。
この施設を利用したリクルートや訓練プログラムのお陰で、カナダ西部での入隊志願は多かったと言われています。
エスキマルト海軍施設(1995年登録)
カナダ海軍のエスキマルト基地の中心にある4つの施設「王立カナダ軍ドックヤード」「旧王立海軍病院」「退役軍人墓地」「コール島の弾薬庫」が国定史跡に該当します。これらは、英国海軍の時代から現代に至るまで、カナダ海軍の歴史を物語る重要な施設です。
1865年に設立されてから、1906年にイギリス海軍が撤退するまでの間、エスキマルト海軍基地は、広い太平洋の基地の中心の役割を担っていました。
レンガ造りの建物は、1890年代に構造の修復などが行われていますがまだ多くが使用されています。
エスキマルト港の北端にあるコール島では、火薬や爆発物が収容されていました。
HMCドックヤードは1865年にイギリス海軍によって設立され、それ以来、エスキマルト海軍基地の中心となっています。イギリス海軍により1906年までに開発された12ヘクタールのセクションと、第二次世界大戦中にイギリス海軍により開発され、拡大され再建されたセクションのつの主要なセクションがあります。
1910年に、新しいカナダ王立海軍が基地を引き継ぎ、最終的にドックヤードと病院の敷地を拡張して、訓練施設や管理施設として使用し、現代のカナダ艦隊の活動拠点として重工業団地を建設しました。
これらの史跡は、イギリス軍とカナダ軍の1世紀以上にわたる海軍防衛の進化の体現としてみることができます。
軍事学校
ハトレーパーク / 旧ロイヤルロード軍事学校(1995年登録)
エスキマルト・ラグーンの端に位置する570エーカーにもわたる広大な敷地の中にある、エドワード朝の中心的テューダー朝復刻式の邸宅であるハトレー城です。
このエドワード朝様式のハトレー城を含む公園は、裕福な実業家であり州の政治家であったジェームズ・ダンスミア氏とその妻のローラ氏のために1908年から09年に建造されました。
有名な西海岸の建築家サミュアル・マクルー氏によるテューダー復刻式デザインと、造園家のブレット氏とホール氏によっり考案されたエドワード朝の風景に一体化されたデザインが有名です。
敷地内には、フォーマルな庭園からレクリエーションスペース、農地、森林まで、さまざまな在来植物やエキゾチックな植物が見られます。
ダンスミア一家は1937年までここに居住していましたが、1940年にカナダ国防省が領地を買収し、ロイヤル・ロード軍事学校として使用していきました。
拘留キャンプ
日系人拘留記念センター(1994年登録)
1942年に西海岸からの日系カナダ人強制避難者を収容するために建設された拘留キャンプで、1994年にメモリアルセンターとなり、2007年に登録されました。
かつての収容所跡地にあるこのセンターは、第二次世界大戦中に日系カナダ人が西海岸から強制的に連行された悲劇的な歴史を物語る数少ない場所の1つです。
第二次世界大戦中に収容所が建設されるまで、この広い土地は野菜を栽培するために使用されていました。
22,000人の避難民のうち約12,000人が、連邦当局によって遠隔地に設立された強制収容所に送られました。
コミュニティセンターと、抑留者を収容するために建てられた3棟の小屋で構成されるこのサイトは、日系カナダ人コミュニティにとって重要な記念碑です。
訪問者に特別な場所であることを示すように、正面に2つのゲートのある高い木製フェンスで周囲が囲まれています。伝統的な日本式庭園や曲がりくねった小道は、抑留者が住んでいた厳格な小屋とは対照的と言えます。
研究施設(観測所)
ドミニオン天体物理天文台(2001年登録)
塗装されたホワイトメタルのパネルで覆われた展望台には、クラシックな建築様式の装飾が施されています。
天の川の性質について多くの発見がなされた世界的に有名な施設であり、1960年代まで世界の主要な天体物理学研究センターの1つでした。
1914年から1918年に最先端の設計技術にしたがって海抜227メートルの丘の上に建設された展望台は、直径20.2メートル、高さ22.3メートルの円筒形の構造で、ドーム型の屋根の上に2つのアーチ型のスラットが開いており、望遠鏡は夜空に焦点を合わせることができました。
この高度な光学システムと計測器の精度を誇る世界的に有名な天文台はオープン以来、施設の1.85メートルに及ぶ巨大な反射望遠鏡を使用して、天の川銀河のサイズや構造といった性質に関する数々の重要な発見がなされています。
1922年にこの天文台で最大の既知の太陽連星の質量を発見し、カナダの天文学に重要な国際的地位を与えてきたカナダの国家歴史人ジョン・プラスケット氏と他の著名な天文学者の活動と密接にリンクしています。
1918年の完成時から1960年代まで、世界の主要な天体物理学研究センターの1つとしてこの天文台は活躍してきました。
防災施設
ウィアーズ(テイラーズ)ビーチ土塁施設(1974年登録)
ここは国定史跡に登録はされているようですが、情報がなかなか出てきませんでした。。
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