カナダのブリティッシュ・コロンビア州にある「ナショナル・ヒストリック・サイト」91ヵ所を、ジャンルごとに紹介しています。
このサイトについてや全体像を見るには下記記事へ!
本記事では、自然・公園編として9ヵ所を紹介します。
自然
ギトゥワンガク戦地・キトゥワンガ要塞(1971年登録)
旧キトゥワンガ要塞として知られるギトゥワンガク戦地跡は、BC州中央部のヘーゼルトン山脈とバックリー山脈の間を流れるキトゥワンガ川沿いにある要塞化されたギトゥワンガク村の跡地で、戦士ネクトの壮大な戦いの伝説のある地です。
ギトゥワンガク・バトルヒルの遺産の価値は、サイト自体とそこで発見された考古学的資源が示すように、ギトゥワンガクの歴史との関連性にあります。
戦士ネクトが防衛拠点として築城し、少なくとも18世紀に使用されたとされるこの要塞は、丘の上に5つの長家を擁し、柵で囲まれていました。
ギトゥワンガクの主要な住宅村を防衛するために村に隣接していたこの要塞は、スキーナ川と海岸沿いの集落を襲撃する際にギトゥワンガクの人々によって使用されました。
1835年頃に焼失したと言われ、現在は建築物等は残っていません。
ハウス峠(1978年登録)
標高約1500mの高地に位置するカナディアン・ロッキーを通る輸送ルートで、コンウェイ山とハウス・ピークするバンフ国立公園内にあります。
クートゥネイ族やピーガン族をはじめとする先住民族によって19世紀初頭に活用されました。
1806年にアルバータ州にある町のロッキー・マウンテン・ハウスに住む2人の男がハウス川からの道を切り開いたのが始まりとされています。
翌年の1807年には、イギリス人の毛皮商で地図学者のデイヴィッド・トンプソン氏がこの山道を通り、コロンビア川まで到達します。
後の1809年に通過に成功するハドソンズ湾会社のジョセフ・ハウス氏にちなみ、ハウス・パスと名付けられました。
実際にはこの山道はあまり使用されることはなく、カナディアン・ロッキーを越える山道としては、アタバスカ・パスの方が好まれたと言われています。
ハウス・パスは他の山道よりも標高が低いことが特徴的であったため、太平洋ルートとしての価値がありましたが、それでもキッキング・ホース・パスが選ばれることが多かったとされています。
キッキング・ホース峠(1998年登録)
ロッキー山脈を通る主要な鉄道と高速道路のある山道で、世界で最も壮観な山の景色を見ることが出来る場所と言われています。
1857年から1960年にかけて行われたパリサー氏の遠征による報告で最初に記録されたこの峠道は、探検に従事した外科医のジェームズ・ヘクター博士が、付近を探検中に彼の連れていた馬に蹴られた事件にちなんで名付けられました。
この山道は、カナダ太平洋鉄道がロッキー山脈を通る新しいルートとしてこのキッキング・ホース・パスを採用することを決定した1881年までは実質的には使用されておらず、より北部に位置するイエローヘッド・パスの方が多く使用されていました。
このカナダ太平洋鉄道の決定により、カナダ西部を横断する路線の位置が変更され、西部の開発に劇的な影響を与えました。
キツェラス渓谷(1972年登録)
アボリジニの人々が約5000年間定住したと言われる渓谷で、国定史跡としては、地域の貿易を取り仕切っていたツィムシャン族が19世紀に居住した2つの村を含みます。
岩石に文字が刻まれた彫刻であるペトログリフや、トーテムポール、文化的に手の加えられた樹木類、遺跡などの重要な文化的資源に恵まれています。
約5000年のアボリジニの歴史を網羅し、現在はチムシャン族と呼ばれる人々にとって重要な場所です。
ツィムシアン族が戦略的に支配していたの2つの村は、沿岸部と内陸部の間の玄関口として管理されていおり、それがそのままハドソンズ・ベイ社との貿易に繋がりました。
シミルカミーン・スピリット・トレイル(2007年登録)
シミルカミーン地域の4000年以上の歴史をもたらし、先住民が使用したトレイルで結ばれた3つのサイトで構成された文化的景観です。
西部にあるテュラミーン・オーカー・ブラフスは、精神力を象徴する鉱物性色素の主要な供給源であり、東部にあるチュチュワイハ・ロックシェルターにある絵文字や口頭伝承などの考古学史上の財産は、古代の居住地であった現実世界と霊界との繋がりを示しています。
その間となる谷の北側に沿って、夢や守護霊が赤い黄土色で描かれた数十箇所にわたる絵文字が残された遺跡があります。
メトラカトラ峠(1972年登録)
プリンス・ルパート湾の北側入口にある狭く保護された海水路の西端にあるパイク島の地で、北岸ツィムシャン族が越冬に使用した村です。
針葉樹林は島を覆い、海岸線には遺跡があり、5つの先住民族の遺跡、3つの旧村、2つの岩面彫刻の遺跡が残っています。
1830年代後半までに、ツィムシアン族は、新たな越冬村としてメトラカトラからハドソンズ湾会社のフォート・シンプソンに移動しました。
1862年に、イギリスの若い国教会宣教師であるウィリアム・ダンカン氏は、モデル・コミュニティを確立するため、メトラカトラに戻る動きを始めました。
1887年にダンカンとツィムシアン族の一部がアラスカに向けて出発し、パイク島は現在もメトラカトラ先住民の所有物といて残されています。
ロジャース峠(1971年登録)
セルカーク山脈を通るカナダ太平洋鉄道の輸送路で、全国輸送路として発展させるのに貢献しました。
1881年にカナダ太平洋鉄道がロッキー山脈を通過するための南向き経路としてキッキング・ホース峠の採用を決定した後、それまで到達困難であり大部分が未踏であったセルカークを通過する方法を発見することが急務となりました。
翌年、A. B. ロジャース氏がこの峠を通過し、カナダ太平洋鉄道が直面する最後の大きな地理的障害を克服しました。
この地は急勾配で雪崩の影響を受けやすいため、路線にとっては大変危険な部分になり、難航しつつ1916年に開通したトンネルによる迂回でこの問題は解決されました。
しかし、1962年にカナダ横断ハイウェイが開通すると、再び国道の一部となりました。
公園
スタンレー・パーク(1988年登録)
以前は先住民族の儀式用に使われていた土地ですが、イギリス軍が保護区として利用した後に公園とされ、バンクーバーのダウンタウンに隣接しています。
1888年に開園し、当時の総督ウィリアム・スタンレー・ローリングス卿にちなんで名付けられたこの公園は、当時の大都市公園を象徴したスタイルとなっています。
自然環境と文化的特徴との調和が図られ、密集した樹木の風景は、BC州の沿岸森林の典型とも言えます。
レクリエーション施設や数々の庭園も魅力的で、海と街と山に囲まれたこの400ヘクタールの素晴らしい公園は、カナダで最も有名な公園の1つと言えます。
1888年の開園後、1913年から1936年にかけてバンクーバー市によって開発されました。ローリングス卿はイギリス式にならい、自然的な特徴や庭園とデザインされた景観、レクリエーション施設を融合させたデザインとしました。
戦後には、水族館やミニチュアの鉄道、子供向けの動物園などのアトラクションが追加され、さらに賑わうことになります。
公園はまた、詩人で作家のポーリン・ジョンソン女史、スタンレー卿、俳優のジョン・ドレイニー氏、バンクーバー・センテニアル、ブリティッシュ・コロンビア州の製材業者、第一次世界大戦中の日系カナダ人、救世軍、そして1906年に8名の犠牲者を伴って沈没したチェヘイリス号、1888年に座礁し1892年に沈没した蒸気船ビーバー号、イギリス海軍の測量艦H.M.S. エジェリアなどに関する記念碑が建てられています。
庭園
ブッチャート・ガーデンズ(2004年登録)
かつての石灰岩の採石場であった場所に一段低く作られたサンクン・ガーデンであり、国際的に知名度の高い庭園です。
ジェニー・ブッチャート夫人は、1904年にこの壮大な庭園の造園を開始し、20世紀初頭の美化運動とカナダの園芸史の成果を反映しつつ、使われなくなった石灰岩の採石場を劇的なサンクン・ガーデンと変容させました。
元のデザインを維持しながらも、花々のディスプレイを季節ごとに変えるというヴィクトリア朝の伝統を継承しています。
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