カナダのブリティッシュ・コロンビア州にある「ナショナル・ヒストリック・サイト」91ヵ所を、ジャンルごとに紹介しています。
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本記事では、街並み・景観編として7ヵ所を紹介します。
街並み
カスロ(1924年登録)
カリブーにおけるゴールド・ラッシュの中心地となり、1860年代には地域の人口が集中した街です。最盛期には$1900万ドルを生み出したと言われ、BC州の政治的また経済的な成長のきっかけとなりました。
街はその後に使われなくなると、廃墟と化してしまいましたが、1958年に行われた再建築により復興を果たし、現在は観光地として賑わっています。
1862年に、ビリー・バーカー氏がこのウィリアムズ・クリークの地でで金を発見して以来、その話を聞きつけた財宝目当ての人々が世界中から押し寄せ、交易や農業で栄えるきっかけとなりました。
バーカー氏にちなんで名づけられたバーカーヴィルは、1865年に完成した650kmに及ぶ貨物道の終着点としても活躍し、その全盛期ではカナダ西部最大の都市にもなりました。
1868年に大規模な火災が発生し、カリブー金鉱は消失することとなります。
その後すぐに第2のバーカーヴィルが建設されましたが、生産量は次第に減少して、街は活気を失います。
BC州の100周年にあたる1958年に再興が行われ、州政府が歴史記念公園を建設し、当時を模した造りの街並みを再現しました。
現在は、125以上の遺産的建築やシアターなどを残すユニークな街並みの観光地として残されています。
夏季にはストリートシアターが開業したり、ヴィクトリア時代の商品がいっぱいのユニークなお店やステージが開かれて賑わいます。
ギャスタウン歴史地区(2009年登録)
主に1886年から1914年の間に建てられた建物で構成される歴史的な商業地区で、1970年代初頭におけるカナダ国内の遺産保存運動に関連して保存された街並みです。
街全体は、碁盤目状に設計されており、この地区は入り江の曲線に沿って配置されています。
地区内には141の建物があると言われ、これらは主に1886年から1914年の間に建設された3階〜6階建ての石造り及びレンガ造りの倉庫や商業店舗、ホテル、居酒屋など、均質的な商業建築により構成されています。
全体的には石積みの建設が多く、ガラス張りの店先の雰囲気とレンガと石で作られる出窓が特徴的です。
パウエル・リバー計画都市・歴史地区(1995年登録)
製紙パルプ工場の労働者たちが居住するために建造された木造住宅が並ぶ住宅街で、20世紀前半の計画都市、単一産業都市として評価される街並みです。
1910年から1911年に始まったと言われる最も古い産業は、カナダ西部では最初の新聞紙用の製紙会社であり、長年にわたり世界最大の個人生産者による工場として活躍してきました。
そのすぐ東側には、当時設計された街並みがあり、こじんまりとしたすのこ状で丘を上っていく形状の住宅地が広がっています。
工場の拡大に伴い、1920年代には街全体が拡張され、森林に覆われる丘の中にある三日月状の地域に沿って、住宅地が南側にも拡充して建設されました。
その後に郊外でも、さらなる住宅開発が行われ、その結果としてパウエル・リバーの街全体は、現在でも20世紀初頭の外観の雰囲気をほぼ当時のまま維持しています。
バンクーバー・チャイナタウン(2011年登録)
バンクーバーのチャイナタウンは、1880年代に定住が行われ始めたカナダでも最も古いチャイナタウンのひとつで、国内では最大規模のもので、独特の「埋め込み式バルコニー」スタイルの建築が特徴的です。
このチャイナタウンの存在は、その進化や継続的な活力を伴い、長年にわたる中国系カナダ人のカナダへの貢献と闘争の歴史を反映しています。
人種的な差別や隔離の歴史の結果として、中国人による移民や滞在者がこうした地域に集中することとなり、こうした特徴的な文化地区を形成してきました。
ここにある多くの文化的な建造物は、中国の広東省の建築様式と西洋式の様式とを融合させた独特の建設方法をとっており、これが特徴のひとつになっています。
ヴィクトリア・チャイナタウン(1995年登録)
歴史的建造物が集中するカナダで現存する最古のチャイナタウンです。
中国系カナダ人による複雑な歴史や遺産の証として保存されています。
第一次世界大戦前には、西海岸における主要な移民の入国港として、ヴィクトリアがカナダ国内で最大の中国系カナダ人の居住地となっていました。建築的には、主に2階から3階建てのレンガ造りの建物が多く、次第に彼らは中国式な文化での生活圏を作っていきます。
カナダ太平洋鉄道が完成するまでの30年もの間は、ヴィクトリアは中国人移民のほとんどが最初に入国する地であり、第二次世界大戦後まで重要な飛び地として活躍しました。
景観
チルクート・トレイル(1987年登録)
ユーコン川の上流とアラスカのタイヤ湾の太平洋岸を結ぶコースト山脈の険しい山岳地帯を通る伝統的な輸送路で、1897年から1900年のクロンダイク・ゴールドラッシュの際には数千人もの探鉱者がこのルートを使用したことで有名です。
ユクォット(1923年登録)
フォート・ラングレーと並んでBC州で最初に登録された国定史跡の一つです。
バンクーバー島の北西側海岸のフレンドリー・コーブにある広大な遺跡で、捕鯨などをを行う先住民族モワーチャート・ムチャラートの政治・経済的な中心地でした。
西洋人とカナダ西海岸に住む先住民とが最初に接触をもった場所で、ヌートカ条約の調印場所にもなりました。
1778年3月にキャプテン・ジェームズ・クックによって発見、1789年6月にスペインが占領すると、1795年まで居住地として使用しました。現在でもカナダにおけるスペインの唯一の軍事施設として認知されています。
1789年にスペインによりイギリス船が占領される事件が発生し、ほぼ交戦状態に至りましたが、1790年にユクォットの別名でもあるヌートカの名を冠した条約がこの地で結ばれ、イギリス代表のバンクーバーとスペイン代表のクアドラが締結したこの条約に基づき、戦争への発展は回避されました。
以降、太平洋側のこの地域がイギリスの支配地域となりました。
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