アボッツフォード国際航空ショーは、カナダBC州アボッツフォード空港で毎年8月の第2金曜から日曜の3日間に渡り開催される、カナダ最大の国際航空ショーです。
既存の民間機や復刻機も多数参加しますが、それだけではなく、世界中から様々な軍用機も参加し、アクロバット飛行展示も行われます。
アボッツフォードエアショーの歴史
ローカルなエアショーから国内最大のエアショーへ
このエアショーの始まりは、1962年にアボッツフォード・フライングクラブとアボッツフォード・ロータリークラブによる共同企画として開始しました。当初は観客15,000人を動員する程度の規模でしたが、計画はもちろん、観客の誘導から敷地内の警備、駐車場の管理まで全てクラブが運営を行っていました。1960年代には、徐々に規模を拡大していき、1965年にカナダ国内で最大の動員数を擁するエアショーになると、1968年に運営委員会が正式に発足します。
現在のトルドー首相の父であるピエール・トルドー元首相は、このエアショーを「カナダの国民的エアショーだ」と1970年に指定し、名実共に国内最大のカナダを代表するエアショーとなりました。これを記念し、空港ターミナルの外には記念碑が建てられました。この石積みの記念碑は、パリから取り寄せた玉石、ロンドン橋やマッターホルンの石など、世界中の石を集められてできています。
東西冷戦の中、参加国の増加による盛り上がり
1971年にカナダ空軍のアクロバットチーム「スノーバーズ」が初参加すると、1970年代には更に観客を魅了し、規模を拡大していきます。1974年の開催時には、ヨルダン国王のフセイン1世が参席し、この「スノーバーズ」のアクロバット飛行に感銘を受けたと言われています。これは、ヨルダン空軍が1976年に結成したアクロバットチーム「ロイヤル・ヨルダニアン・ファルコンズ」に大きな影響を与えました。
カナダで開催されているにも関わらず、1976年の回は「アメリカ建国200周年記念」のイベントとしても強く認識され、アメリカ海軍「ブルー・エンジェルス」やアメリカ陸軍パラシュートデモチーム「ゴールデン・ナイツ」が参加しました。
1980年代には参加数が更に増え、益々の盛り上がりを見せます。アメリカ空軍と海軍、イギリス空軍は毎年参加するようになり、1984年にはニュージーランド海軍、続いて翌年の1985年にはブラジル空軍の「スモーク・スコードロン」が初参加するなど、参加国も次第に拡大していきます。
カナダ空軍は、1980年のこのショーで新型機として「F/A-18ホーネット」を国内初披露しました。3年後の1983年に再び参加した際には、カナダのオリジナルカラーになり、以降もほぼ毎年参加しています。
国内最大の動員数を記録
1986年は、バンクーバー国際交通博覧会(EXPO’86)の開催時期とも重なり、3日間で30万人以上の観客を動員しました。この年は、フランス空軍「パトルイユ・ド・フランス」やイタリア空軍の「フレッチェ・トリコローリ」のようなヨーロッパのチームも、これまでの常連だったアメリカ海軍やブラジル空軍、カナダ空軍に加わって参加することになりました。
その盛況は、東側からも多数の参加機を呼び寄せます。ウクライナ空軍からアントノフAN-124、ソ連からAN74などは、もちろん初参加でした。西側も音速戦略偵察機SR71ブラックバードが、カナダで最初で最後となる地上展示を行いました。時代は冷戦真っただ中です。
1989年には、3日間で32万人を動員する最高の記録を更新しました。
この年は、ソ連から再び多数の軍用機が参加しました。2機のMiG-29ファルクラム、Su-26Mアクロバット機、Ka-32ヘリと世界最大の航空機An-225ムリーヤも北米で初登場となりました。
MiG-29の飛行展示のパイロットは、2ヵ月前にパリで開催されたル・ブルジュエアショーに参加し、飛行展示中にバードストライクし緊急脱出、奇跡的に生還したパイロットでした。
さらに、歴史的な瞬間が最終日にあります。カナダ空軍のCF-18ホーネットパイロットであるウェイド少佐が、ソ連のテストパイロットと複座式のMiG-29UBに同乗したのです。ソ連の近代ジェット機を西側パイロットが操縦するという歴史的な瞬間になりました。
また、イギリス空軍が第二次世界大戦で使用したアブロ・ランカスター爆撃機の飛行展示も行われました。この航空機は、現存機が数少ない中で、実際に飛行可能な機体は世界に2機しかなく、そのうちの1機です。アメリカ空軍のアクロバットチーム「サンダーバーズ」が8年ぶりに参加したことも観客を惹きつける要因になりました。
冷戦後の参加減少と初の開催見送り
冷戦後の1990年代には、軍事費の削減から軍用機の参加が減りました。
それでも、引き続き珍しい参加機の登場は、観客を離しませんでした。
1991年には、アメリカ空軍のF-117ナイトホークステルス戦闘機がカナダに初上陸し、厳重な警備下で展示されました。ソ連崩壊後のロシアからも、Su-27フランカースが2機、Il-76キャンディッドが2機、MiG-31フォックスハウンド, Ka-32ヘリックス、そしてSu-26とYak-55が参加しています。
1992年には、ウクライナ空軍のMiG-29が2機、北米ツアーの一環で参加すると、翌年1993年にはロシア空軍のナショナルフォーメーションチーム「ロシアン・ナイツ」が6機編隊でSu-27フランカースを飛ばします。
1997年には、偵察機U-2スパイプレーンが参加することになり、支援車両を出して無事に着陸でき、その後地上展示されました。B-2ステルス爆撃機も通過のみでしたが、参加しました。
この年のもう一つの見どころは、カナダの幻の音速戦闘機「アブロ・カナダ CF-105」の実物大レプリカが地上展示されたことです。CBCのミニシリーズ“The Arrow”の撮影のために製作されたものです。
1998年は、財政上の理由から、1962年の開催以来、残念ながら初めて開催が見送られた年となりました。翌年1999年には、見事復活を果たしています。
9.11以降の落ち着き
9.11の影響で、北米中の各地でエアショーが中止されましたが、2002年は第40回目の記念ということもあり、開催することができました。アメリカ空軍「サンダーバーズ」が1993年の初登場以来9年振りの復活を果たし、スノーバーズとの共演が見どころになりました。
2006年には、CC-177グローブマスターがカナダ空軍に納入された際に、オンタリオ州のトレントンにフェリーする途中の数時間のみ展示されました。
2009年は、カナダ航空史100周年記念となる節目の年となりました。記念フライトをCF-18、CT-114チューター、F-86セイバーがゴールデンホークスカラーで実施します。F-86セイバーの「ホーク1」を務めたのは、カナダの宇宙飛行士で後の国際宇宙宇宙ステーションの指揮官クリス・ハドフィールド氏でした。
2012年は航空ショー50回記念でした。10年前の40回記念時と同様、アメリカ空軍「サンダーバーズ」がスノーバーズと一緒に登場し、ノースウェスト・エアショー委員会(NWCAS)により「エアショーオブザイヤー」を受賞しました。
世界10大エアショーの一つと認識される
そして2014年には、USAトゥデイによる「世界10大エアショー」に選出されました。うち6つはアメリカのもの、残り3つがヨーロッパという中での快挙でした。同年には、国際エアショー委員会による銀賞を受賞するなど、世界的な地位を確立していきます。金曜日の夕方に行われるトワイライトショーもこの年から開催されました。
2015年からは、好評だったトワイライトショーが定例化します。この年は、ブライトリングのジェットチームがツアーの一環でフランスから北米を訪れ、カナダでは初めてパフォーマンスを披露しました。翌年にヨーロッパに帰国する前にも少しだけ登場します。
またアメリカ空軍のステルス戦闘機F-22ラプターが参加した初めてのエアショーとなりました。
2016年は、CF-18ホーネットの代替機候補として、第5世代戦闘機のF-35ライトニングⅡが2機、カナダ初登場で地上に展示されました。2機で来ましたが、地上展示されたのは1機のみでした。他の候補となっていたF/A-18スーパーホーネットも参加し、こちらは戦術飛行展示を行いました。両者とも、2017年のカナダ建国150周年の年も再び参加しています。
2018年には、アメリカ海軍「ブルー・エンジェルス」が初登場の2003年から実に15年ぶりに参加が決定すると、観客動員数は2000年代に入ってからは最大の11万人を超える盛況になりました。
2019年にはUSAトゥデイの読者が選ぶ世界10大エアショーに再び名を連ねています。
10イベントのうち7つが2014年になかった新しいものに入れ替わっている中で、引き続きランクインしているのは快挙といえます。
アクロバット飛行展示
飛行展示チームの参加実績
- カナダ空軍「スノーバーズ」
’71~ (CT-114チューター) - カナダ空軍「スカイホークス」
(パラシュートチーム) - アメリカ空軍「サンダーバーズ」
’69(F-4ファントム)
’77、’79、’81(T-38タロン)
’89、’91、’93、’02、’05、’08、’12、’19(F-16ファルコン) - アメリカ海軍「ブルー・エンジェルス」
’67(F11Aタイガー)
’70及び’72(F-4ファントム)
’76、’78、’80、’86(A-4スカイホーク)
’88、’90、’92、’94、’03、’18(F/A-18ホーネット) - ブラジル空軍「スモーク・スコードロン」
’85~’87、’95 - フランス空軍「パトルイユ・ド・フランス」
’86 - イタリア空軍「フレッチェ・トリコローリ」
’86 - チリ空軍「ハルコーニス」
’95 - ロシア空軍「ロシアン・ナイツ」
’93 - カナダ空軍「ゴールデン・センテナース」
’67 - ブライトリング・ジェットチーム
’15~’16
エアショー専門の名物実況アナウンサー
エアショーを盛り上げるのは飛行機だけではありません。もう一つの重要な存在が、実況アナウンサーです。今年も「ハフェリ・アンド・ヒルデブラント」が、ゲートのオープンからクローズまでの全ての瞬間を、観客を盛り上げながらも大事な情報を伝える重要な努めを果たします。
ロイ・ハフェリは、1999年からアボッツフォードエアショーに欠かせない名物アナウンサーです。ノースウェスト・エアショー委員会の2005年「ショーマンシップ賞」を受賞、2006年には「エリック・ベアード記念賞」を受賞する実力をもち、カナダだけでなくアメリカでも多くのエアショーに招待され、アナウンサーを務めています。
ケン・ヒルデブラントは、比較的最近アボッツフォードエアショーのアナウンサーとなった人物で、本業は映画プロデューサー兼俳優ですが、趣味で操縦も行うプライベートパイロットです。1979年からアボッツフォードのエアショーに観客として毎年参加しており、長年アボッツフォードの空を飛ぶ航空機に魅了されてきました。しかし彼の興味は航空機というよりも、アナウンスをする人たちに向けられており、長年の念願が叶い、2007年からアナウンサーを務めることになりました。
アボッツフォードエアショーに関連する事故
危険の伴う飛行展示の陰には、痛ましい事故も起きています。
1969年 アクロバット機の死亡事故
1969年に開催された航空ショーでは、ワシントン州エバーレットのペイン・フィールドから離陸したボーイング747が、エアショー初公開となり、3往復のフライバイを実施して最後はローパス(低空飛行での通過)を行いました。
その直後を、アメリカ軍戦闘機のレプリカ「リン・ミニマスタング」が低空背面飛行で進入してくると、飛行場の中央付近でひっくり返り、地上に激突しました。この事故で、ワシントン州出身の20歳の飛行教官だったパイロットは亡くなりました。原因は、B747による翼端渦によるものと考えられています。
1973年 カナダ空軍チーム編隊飛行中の空中分解事故
1973年に開催された際は、カナダ空軍による4機の「CF-101ヴードゥー」による飛行展示中、急激な引き起こしなどで機体が制御できなくなる「イナーシャル・ロール・カップリング」が発生し、1機が過荷重により空中分解しました。火の玉が散らばりましたが、奇跡的にも2名のパイロットは脱出に成功し一命を取り留めています。また更に奇跡的に、航空機の破片や残骸によるけが人も出ませんでした。
2018年 レストア機の離陸後の墜落事故
一昨年の2018年には、ショー終了後の時間に事故は起きました。レストアされた1930年代の複葉機「デハビランド・ドラゴンラパイド」が離陸中に強風に煽られ、地面に衝突しました。この航空機は、チケットを販売して一般客に体験搭乗をさせているところで、パイロットの他に4人の乗客が乗っていました。この事故で、パイロットが病院にヘリで緊急搬送されましたが、左足を切断する重傷となり、他の乗客も重傷から軽傷を負っています。
2020年の予定
2020年は、8月7日 (金)~9日 (日)で計画されています。
カナダに出張中の方、留学中の皆さん、またアメリカの西海岸側にお住まいの方も、日本に帰ったら決して見れない規模の航空ショーが目の前にあります!